52円切手で葉書を送れる最後の日に娘に葉書を送る
52円切手と葉書。
今日(5月31日)までは、52円切手で葉書を送ることができるけれど、明日(6月1日)からは52円切手では葉書は送れなくなる。
郵便料金が値上がりするからだ。
明日(6月1日)からは、葉書を送るには、62円切手を買うか、10円切手を買って52円切手の隣に貼るということをしないといけなくなる。
52円切手で葉書を出したい場合は、今日(5月31日)がラストチャンス。
この52円切手と葉書が、何故、私の手元に今あるのか。
何ヶ月か前に、出張先から自宅にいる娘に葉書を出そうと思って買っていた52円切手と葉書。
毎日カバンに入れて持ち歩いていたのに、葉書を娘に出すことができていなかった。
2週間おきに自宅に帰って娘に会っていたり、スマートフォンを持っている娘とLINEでメッセージのやり取りを頻繁にしていると、娘に葉書を送ることの目的を忘れがちになるが、確かな目的が2つあった。
1つは、娘を喜ばせる目的。
以前、ふとした思いつきで娘に葉書を送ったら、娘がとても喜んでいたということを妻から聞いた。
葉書を送って娘を喜ばせたいという目的だ。
もう1つは、私自身を喜ばせる目的。
葉書に対して、娘から封書で返事が届いたことは嬉しかった。
娘からの返事を期待して葉書を送るという目的だ。
そのような大切な2つの目的があるにもかかわらず、切手と葉書の存在を忘れてしまっていた。
たまに思い出して、今日こそは夕食の後にカフェにでも行って手紙を書こう、と思っていても、歩いているうちに忘れてしまっていた。
言い訳は色々あるけれど、たぶん、忘れてしまっていた、というのは本当のようでいて本当ではない。
最高にリラックスした気分になっている時に、静かなカフェで、ゆったりとした時間を使って、娘を笑わせるような楽しい文章をいっぱい書いていく、といったような理想を求めすぎているのがいけなかったのであろう。
そのような理想的な状況に至るための様々な条件が偶然整うことは、なかなかない。
偶然に頼り、理想を求めすぎた。
気づいたら、52円切手で葉書を送ることができる最後の日になっていた。
もしこの日が5年後だったら、私は5年後もまだ葉書を送ることができていなかったかもしれない。
葉書を買った時、娘は小学五年生だったけれど、数ヶ月が経過した今はもう六年生。
これ以上、娘が大きくならないうちに、今すぐ、葉書を送らないといけない。
葉書は、カフェではなく、出張先のアパートの部屋で書いた。
たぶん、娘が笑ってくれそうな、喜ぶような文章になったはずだ。
(字がめちゃくちゃ汚くなったので、まず汚い字について笑われそうな気がする。)
今日(5月31日)の朝、出勤途中にあるポストに葉書を投函することを忘れないようにしよう。