『孤独について―生きるのが困難な人々へ』(著者:中島義道)を読んだ感想


孤独について―生きるのが困難な人々へ (文春文庫)

本のカバーに記載されている著者紹介によると、著者の中島義道(なかじま よしみち)氏は哲学博士で、電気通信大学人間コミュニケーション学科元教授。現在は「哲学塾カント」を主宰しているとのこと。
不勉強な私は本を読むまで中島氏のことは知らなかったけれど、本の目次や本文の冒頭数ページちらっと読んだだけで面白いと感じたので全部読んでみた。

本書の章立てを観ると以下のように、全ての章のタイトルに「孤独」という言葉が入っている。

序章 孤独に生きたい
第一章 ずっと孤独だった
第二章 孤独な少年時代
第三章 孤独な青年時代
第四章 孤独を選びとる
第五章 孤独を楽しむ
終章 孤独に死にたい

これだけでは面白さが分からないかもしれないけれど、目次を見るとそれぞれの章には面白そうな小見出しがいっぱい並んでいる。

序章 孤独に生きたい
 他人を警戒する
 小さなうめき声をあげている人々
 孤独になる技術
 運命愛

第一章 ずっと孤独だった
 封建的な父母の家
 父、カリフォルニアで生まれる
 七歳までに五度の引っ越し
 川崎と世田谷
 東大法学部病
 哲学がしたい!
 クラスで一人だけ留年する
 授業についてゆけない
 「美しい敗者」になりたい!
 何もしない青春
 「風」が吹いてくる

第二章 孤独な少年時代
 母の怨念
 虚栄の家
 死ぬのが怖い!
 離人症体験
 小便を漏らす
 リアルで矮小な悩み
 人間恐怖症
 カインとアベル

第三章 孤独な青年時代
 ふたたび留年する
 「社会復帰」をめざす
 八方塞がり
 自殺しようと思う
 法学部学士入学
 そうだ、ウィーンへ行こう!
 背水の陣
 日本人学校の英語講師に採用される
 東大助手になる

第四章 孤独を選びとる
 世間嫌いの完成
 Y教授による「いじめ」のはじまり
 私は狡い
 職がないのはおまえのせいだ!
 「きみ、髭を剃ったらどうだ?」
 おじぎはこうするのだ!
 「うちの芝生を刈ってくれないか?」
 お金を渡すべきか?
 学科長に訴える
 そして私は助教授になった
 人生を<半分>降りる

第五章 孤独を楽しむ
 孤独な最近の生活
 孤独と結婚
 ゆきずりの関係がいい
 孤独の実験場
 孤独の条件
 書くこと
 書いて刊行すること
 故郷喪失者

終章 孤独に死にたい

この目次から受けた印象の通り、読んでみると本当に面白く、しかも、本書は終始読みやすい文章で書かれているので、スラスラと最後まで読めた。

本書では中島氏が考える孤独の定義を知ることができる。
特に分かりやすく、面白いと思ったところを以下に引用する。

P17
具体的には、孤独になるとは、他人に自分の時間を分け与えることを抑えることである。自分の生活を整理し、なるべく他人のためではなく自分のために時間を使うことである。
P81
私の印象では、孤独を恐れる人は幸せな少年時代・青年時代を送った人に多いようだ。自然に他人を信頼するという姿勢がつちかわれてきた。だから、そうした他人に支えられないと恐いのだ。それはそれでいいと思う。私は本書で、あらゆる人にとって孤独がいちばんだと言いたいわけではない。そうではなく、独りでいることが好きな人もけっして人間的欠陥ではなく、それもまたいいのではないかと言いたいだけである。そうした人もまた豊かな人生を送れる。
P127
孤独とは自分に課せられたものではなく、自分があらためて選びとったものだという価値の転換に成功すると、そこにたいそう自由で居心地のよい世界が広がっていることに気づく。孤独とはもともと自分が望んだものということをーイソップの狐のようなー負け惜しみではなく、心の底から確認すると、孤独を満喫することができる。それはすなわち、自分の固有の「人生のかたち」を満喫することであり、孤独が履き慣れた靴のように心地よくなることである。
P175
孤独を実現するためにはある程度他人が必要である、という逆説的な構造を賢明な読者なら理解してくれると思う。つまり、孤独を現実的なものにするためには、私の世界の中にいかに煩わされない他人を取り入れるかが鍵となる。
P180
他人から排斥されたがゆえに孤独である「受動的孤独者」は、身に突き刺さる孤独に耐えがたいであろう。だが、みずから選んだがゆえに孤独である「能動的孤独者」は、自分が他人を選びつつ、その他人との社交の「かたち」も選びつつ、孤独を楽しみ活用することができるのだ。
P194
孤独を磨きあげてゆくこと、それは「死」だけが見えるようにすることである。つまり、自分の不幸を徹底的に骨の髄まで実感することなのである。

著者は子供時代の苦しみを愛することについてニーチェの「運命愛」の思想が実感としてわかるという。
この思想と同じようなことを執拗に言い続けている人として作家の曾野綾子氏について触れている。
氏との出会いは『仮の宿』ということで、曾野綾子氏の熱心な読者のようであった。
『仮の宿』から少し引用されている文章を読んでみると、私も読みたくなったので後日読んでみようと思った。

孤独については、これまでにも自分なりの解釈で考えてきたけれど、著者のような視点で考えたことはなかった。
孤独とはたった一人で生きていく、仲間がいない、四面楚歌の状況である...というようなことぐらいしか考えたことがなかった。
本書にはこれまでに考えたこともなかったようなことが面白い文章で書かれている。
同意できるところが多いので、私も孤独者なのかもしれない。

中島義道氏の他の本も読んでみようと思った。

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