コインランドリーで洗濯物を袋に入れる手伝いをおばあさんに頼まれる
昨日もコインランドリーで洗濯をしたのだけれど、今日もコインランドリーで洗濯をした。
昨日はシャツや下着などの衣服を中心とした洗濯だったが、今日は、布団の敷布団などの大物を洗濯。
洗濯をしている間は、洗濯時間が27分もあるので、コインランドリーをいったん出てアパートに戻って過ごしていたが、乾燥をしている時はコインランドリーの店内の椅子に座ってスマートフォンでホームページを閲覧したりして過ごしていた。
コインランドリーの店内に入ってきた見知らぬおばあさんから質問をされる。
「これ、終わったかどうかは、どこを見れば分かるんですか」
店内には他にも人がいたけれど、たぶん、私には話しやすい雰囲気があったのであろう。
私は椅子から立ち上がり、おばあさんが指し示している洗濯機兼乾燥機の所にまで歩いて行った。
それは最近は私は使っていないけれど、私もこれまでに何度か使ったことがあるものであったから、勝手は分かっていた。
見たところ、動きは止まっている。
残り稼働時間を示す液晶表示は0になっている。
まだこれからも動く場合は、ここに1以上の数字が出ているはずだから、もう洗濯も乾燥も終わっていることは明らかだ。
「止まっているようですね。もう終わっているようですよ」
「ありがとうございます」とおばあさんからお礼を言われる。
私は再び椅子に戻って、スマートフォンを眺め始める。
しばらくすると、またおばあさんから声がかかる。
「すみません、袋に入れるのを手伝って頂けませんか」
おばあさんの方を見ると、未使用と思われる葛飾区指定の透明のゴミ袋に敷きマットらしきものを丸めて入れようとしているが、うまく入らなくて困っているようであった。
「いいですよ、お手伝いします」と言って、おばあさんを手伝い始める。
「すみませんね。私、手が腱鞘炎で、力を入れることができないんで、助かります。家には孫がいるんですけどね」
言葉の最後にぽろっと出た家にいる孫とは、この場合、どのような意味なのだろうか。
話の流れ上、幼稚園児や小学生などの低年齢層の孫ではなく、中学生や高校生、ひょっとしたら成人している孫のことだろうか。
おばあさんが孫に手伝ってと頼んでも、孫は手伝ってくれなかったのだろうか。
そういう事情であれば、悲しいことだ。
孫には孫の事情があるのかもしれないけれど。
そんなことを思いつつも他人の家庭の事情に入り込む気はなかったので、私からは孫のことは聞かなかったし、おばあさんからもそれ以上の話はなかった。
ゴミ袋に敷きマットを丸めて入れるという作業は、案外難しいことが分かり、私もちょっと苦戦した。
これは、おばあさんには、きつい作業だ。
何とかしてゴミ袋に敷きマットらしきものが全て入ると、おばあさんは何度も頭を下げてお礼を言いながら、コインランドリーの店内から外に出て行った。
外に出たおばあさんを見ていると、おばあさんは、敷きマットらしきものが詰まったゴミ袋を自転車の荷台にある荷物入れにうまい具合にすっぽりと入れていた。
なるほど、どうやって持ち帰るのかと思っていたら、こんなにもうまい方法があったとは。
自転車の荷台に入れるのに、ゴミ袋のサイズはちょうど良いようである。
おばあさんはコインランドリーに慣れていないように見えたけれど、これまでに何度かは使用したことがあるのかもしれない。
コインランドリーで他人の洗濯物を入れるのを手伝うのは、今回が初めてのことであった。
敷きマットだから良かったものの、もし袋に入れるのを頼まれたのが下着とかだったら、私がお手伝いを引き受けることができたかどうかは自身がない。
洗濯済みとはいえ、あまり他人の下着を触りたいとは思わないからだ。
困っている人を助けることで感謝をされるのは自分としても気持ちが良いものであったが、もしも自分にとって苦手なことを頼まれたらどうすればいいのだろう、ということを考えると、怖い気持ちになってしまった。
情けない気持ちにもなる。
そんなことを考えていると、私の洗濯物の乾燥が終わった。
私の洗濯物は、大きなバッグに入れてアパートまで歩いて持ち帰る。
自転車を持っていない私としては、自転車に乗らなくても気軽に歩いて行ける距離にコインランドリーがあるのは、とても便利だな、と思った。