○○号室に新しく入られた方、こんにちはNHKです
東京出張で仮住まいしているアパートは、オートロック式なので、鍵を持っていない人は1階の玄関から先には侵入できないが、侵入できない代わりに、1階にはインターホンがあり、アパートの各部屋に設置されている電話に連絡を入れることができる。
アパートの電話機の使い方が分からず、きちんと動いているのか壊れているのかを確かめることもできていなかったのだが、確かめる方法もないので、電話機のことは忘れていた。
数ヶ月前のこと。
久しぶりの休日であったため昼に近い時間帯でもたまたまアパートの部屋にいたところ、それまでの部屋の静寂を打ち壊してもの凄く大きな音が鳴った。
聞いたことがない音が鳴ったので、最初は何事かと思ってびっくりし、心臓が止まりそうになるほど、心臓がドキドキしてしまった。
やがて、アパートの備え付けの電話が音を鳴らしていることに気づくと、インターホンのことは全く思いついていなかったので、間違い電話でもかかってきたのかと思った。
おそるおそる受話器をあげると、元気なおばさんの声が耳に入ってきた。
「○○号室に新しく入られた方、こんにちはNHKです」
ものすごい脱力感と込み上げてくる怒り。
おばさんも仕事なんだから、と考えて私は怒り口調にならないように気をつけながら、淡々と応えた。
「この部屋、テレビはありません」
NHK撃退のために嘘をついているのではなく、テレビは本当になかった。テレビどころか、冷蔵庫も洗濯機もなく、家具に相当するものは布団しかなかった。
仮住まいアパートに余計なものはいらないから、必要最低限の布団以外は買っていなかった。
おばさんにとっては、テレビがない、というのは慣れた回答だったのか、愛想よく次のような質問がさらっと続いた。
「分かりました。お名前の苗字だけ、教えてもらえませんか」
おばさんのあまりに自然な感じの質問に何の疑問も抱かず、うっかり苗字を答えてしまった。
「ありがとうございました」
というおばさんのお礼の言葉を聞いて間もなく、とんでもないことをしてしまったのではないかと、後悔をした。
住所と名前を教えることで、NHKに個人情報を渡してしまったことになる。
何故、契約をする必要がない相手に、個人情報を教えなくてはならなかったのだろうか。
しかし、まだNHKならマシだ。
まずいのは、おばさんがNHKの職員かあるいはその委託業者かどうかを一切確かめていなかったことだ。
NHKと全く関係ない悪徳業者に個人情報を渡してしまったかもしれない。
声で男性と分かったであろうから、無駄なダイレクトメールがいっぱい郵便受けに届くようになったり、営業マンの訪問がたくさんあるかもしれない。
ということを、数ヶ月前に心配したのだが、その後、何もなかった。
おばさんは、本当にNHKの人だったのかもしれない。
おばさんとの会話の数十分後に外出をした際に、地図を片手に何かをしているおばさんを路上で見かけて、NHKの文字がどこかに見えたような気がする。声をかけるのが嫌だったので、おばさんがアパートに訪問しに来た人かどうかは確かめていないが、たぶん、そうなのだろう。
もっとも、NHK職員か関係者であるかどうかは、たとえ身分証明書を見せてもらったとしても、こちらとしては、本物なのか偽物なのかを確かめる方法はないので、安心はできないのだけれど、少なくともおばさんは感じが良さそうな人に見えたので、もう大丈夫だろうと、考えることにした。
本当はテレビでも買って、アパートでゆっくりとNHKを観たいのだけれど、観ている暇がない。
NHKだけでなく、テレビそのものから遠ざかっている。
テレビの時間を惜しんで違うことに時間を充てているのはテレビが嫌いというよりは、テレビの優先度が低いから、そうなっている。
テレビが面白ければテレビの優先度が上がるということもたぶんない。
生活を支えるための仕事や作業に多くの時間を取られ、それ以外の時間は、健康維持や気晴らしのための散歩や買い物や温泉・銭湯通いに充てているので、テレビを見る時間を確保するのが難しい。
毎日のように終電で帰るような仕事状況が改善されれば、テレビを見る機会も出てくると思うが、しばらくは無理かなぁ。
《関連リンク》
・NHKのモーニングコールで恐怖を感じ、非常に不愉快な気持ちになった