マーシーAI裁判を観た感想

マーシーAI裁判という映画をエミフルMASAKIの映画館で妻と一緒に観てきた。

妻によるとこの映画を娘が面白そうなので観てみたいと言っていたとのこと。(残念ながら娘は県外の大学で私達と離れて暮らしているので一緒に観ることはできない。)

映画を観ての感想。

AI(人工知能)をテーマとした映画は昔から多いイメージだけれど、ここ1、2年ほどの間で映画とは関係がなくこの現実世界では生成AIと呼ばれるAIが流行しており、AIとの会話がまさに人間と会話をしているような体験ができるようになったことから、昔観たAI関連の映画と比べると、より現実感があるような気がした。

映画『マーシーAI裁判』では、AIが裁判長を務め、主人公はAI裁判長に裁かれる立場。主人公は無実を訴えるけれど、AI裁判長は有罪の可能性が高いと言う。有罪の可能性が100%とならなくても、90%台のある域を越えたら有罪となり、処刑されてしまう、という理不尽さ。

AIが裁判長となる時代がいつかは来るかもしれないけれど、絶対にあり得ないだろうと思う設定としては、90分以内に自分が無罪であることを証明しないと処刑されてしまう変なルールがあること。

裁判にかけられている主人公は警察官だから冤罪であることを立証するために自らの経験や直感をフル活用して何とか立ち回れるのかもしれないけれど、私だったらパニック状態に陥ってほとんど何もできないまま90分が過ぎてしまうのではないかと思う。

AI裁判中はクラウド上にあるデータを閲覧したり、携帯電話やパソコンの中のデータを閲覧することができるのは恐ろしいと思う。プライバシー保護という観点でも恐ろしいけれど、AI裁判長がデジタルデータを強制的に閲覧できる技術があるということは、閲覧できるだけじゃなく、改変できる技術もあるということにならないだろうか。あるいは、AI裁判長に閲覧されることを考慮して、あらかじめ改ざんした偽データを携帯電話やパソコン内に罠として準備しておくと、AI裁判長を騙すことができてしまい、無実の人に罪をなすりつけることができてしまうのではないか。このように考えると、恐ろしすぎる。

AIをテーマとした映画の場合、AIと人がお互いに敵対してAIが悪のようになってしまうパターンが多い印象だけれど、この映画はそうではなく、お互いに歩み寄っているように見えたのがよい。お互いの良い点、悪い点を知り、相互に助け合う、協力し合う、という姿勢になることができれば、とても理想的だと思う。

今後ますますAIは現実世界の色々な場面で導入・運用されることになると思うけれど、この映画のようなAI裁判は怖いなあ、と思った。

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