写真集『竹内敏信の熊野古道』を読んだ感想
日本で12番目に世界遺産に登録された熊野古道(正式名称:紀伊山地の霊場と参詣道)の写真集。
山の中にある静かな雰囲気の石畳の古道の風景の他に、古道と共存する自然...樹木、滝などの写真も見ることができる。
また、古道の近くで暮らす人々の生活風景...石垣の村、田植え前の村、漁村などの写真を見ることもできる。
何百年前からほぼ変わらないであろう風景と何百年前とは大きく変わったであろう風景。
どちらの風景の写真も、考えさせられるものがある。
ほぼ変わらない風景の中にも変わったものがあるはずであり、大きく変わったであろう風景、例えば、村の風景の中にも、何百年前にもあった風景と共通するものがあるはずである。
写真集に収録されていた田植え前の田んぼ、収穫前の稲穂、石垣の村の石垣...これらは、変わっていないかもしれない。
他にも色々とあるだろう。
それが何かを考えることは面白い。
時代が流れていく中で、ひっそりと変わらずに生き続けているもの、変わっていても名残を感じさせるものを見つけられた時は、嬉しい気持ちになる。
変わり続けるものの中で、生き残っているものがあると、単なる懐古感というより、安心感を感じるからかもしれない。
写真集を見ることでこのようなことを感じた。
写真集のあとがきもよかった。
「古道」の言葉の意味としては、私の認識では、現代の人が使っている道よりもずっと前に使われていた古い時代の道、ぐらいの意味でしか認識していなかったから、この写真集の巻末のあとがきにある鳥羽・海の博物館 館長 石原義剛氏の文章を読んで、はっとした。
「古びた道だから「古道」なのではありません。いまも自然にあふれた、人々の歩き続ける道なのです。」
このように考えたことはなかった。
古道を写真で眺めるだけでなく、実際に歩くことで、さらに何かを感じられるかもしれない。
熊野古道に行ってみたい、という気にさせてくれる良いあとがきだと思った。
さらに、同じく巻末の「みえ熊野学研究会研究員」の三石学氏のあとがきについても学ぶところがあった。
三石学氏のあとがきで、私が強く興味を持ったのは以下の2点。
1点目(三石学氏のあとがきより引用)
「京都の雨は上から降るが、熊野の雨は下から降る」といわれるのは、雨粒が大きく、地面にたたきつけられて跳ね返り、それが地面から上に向かって雨が降っているように見えるからだ。
2点目(三石学氏のあとがきより引用)
昨今、マンション・ホテルなどの耐震構造の手抜きが問題となったが、伊勢路の古道は基礎から表面に至るまで、しっかりとした乱層野面積み (らんそうのづらづみ)工法により石畳道が作られている。乱層野面積み工法は一見乱雑な積み方にも見えるが、力学的にも工夫された積み方で、なかなか崩れない。一切の手抜きがないから数百年間、大地震にも豪雨にも耐えてきたのである。
三石学氏の文章を読むまでは、このような知識は私にはなかった。
写真を見ただけでは、分からないことである。
知識として覚えておくべきことのように思えたので、覚えておきたい。
この知識を得た後だと、熊野古道の写真を見る時、あるいは、もしいつか熊野古道を訪れることがあった時に、見る視点や感じるポイントが変わるであろうから、その時がくるのが楽しみである。