映画『機動戦士ガンダム 逆襲のシャア』を観た感想
『閃光のハサウェイ キルケーの魔女』の映画を観てきた影響で、映画『機動戦士ガンダム 逆襲のシャア』をU-NEXTで観てみた。
自宅のリビングで『逆襲のシャア』を観ていると、妻からは「前も観ていなかった?」と聞かれた。たしかに観ているうちに、いつだったか忘れたけれど観たような気がする、と思っていた。私は「そうだったかもしれないね。閃光のハサウェイに続いていく映画とも言えるから、今は観直しているんだよ」と答えながら、「観直している」と言うと私が映画を観たことを覚えている前提があるのだけれど、観たことを覚えていないのだから「観直している」と答えたのは私が記憶力のなさを隠すための変な強がりになっている。このようなどうでもいいことで妻に見栄(?)を張ってしまう私は情けないな、と思いながら映画を観ていく。
ところどころ観たことがあるシーンが出てきたのでやはり妻が言うように観たことがあるのであろう。最後の結末は観た気がしなかったので最後までは観ていないのかもしれないし、結末を忘れるほど印象がなかったのかもしれない。しかし、結末も観たような気がしてきた。どうしてこうも自分は記憶力がないのか。
映画が面白いかどうかについては、マニアックな意味では閃光のハサウェイにどう繋がっていくのかを考えていくことを楽しむ点では面白いかもしれないけれど、総じて面白いとは思えなかった。
たぶん、私がシャア・アズナブルのことが好きになれないからであろう。アムロ・レイの方が好きになれる。シャアの思想に近いものをハサウェイ・ノアが継承しているのかどうかはともかく、シャアのことが好きになれない私が、シャアの真似事のようなことをするハサウェイのことを好きになれるわけがない。
『逆襲のシャア』で登場するハサウェイは見た目通り本当に幼いこともあるけれど、それでも行動がお子様すぎるし、戦場にいたという状況があったとしてもその戦場には自ら飛び込んでいったわけで、そこでとった行動は考えなしの人殺しにしか見えない。ハサウェイのことを心配してくれていた人を手にかけたことについてはまったく理解できない。錯乱していたのかもしれないけれど、そんなことでハサウェイのことを正当化できるとはまったく思えない。 『閃光のハサウェイ』で主人公として登場するハサウェイのことも好きにはなれないけれど、『逆襲のシャア』のハサウェイはもっと好きになれなかった。
シャアとハサウェイの言動にイライラしている中、アムロ・レイがダメ元で命をかけて地球を守ろうとする姿は立派だと思った。アムロ・レイの言動が嫌いな人もいるのだろうけれど、意味不明な主張を貫き通すために多くの人の命を奪っていくシャアとハサウェイと比べると、アムロ・レイの方が好感が持てる。
『逆襲のシャア』を観ての感想を短くまとめると、シャアとハサウェイの言動は気持ち悪くてイライラする、アムロ・レイは好感が持てる、だ。
『閃光のハサウェイ』を観る前に、『逆襲のシャア』を観ておくべきかどうかについては、観ておいた方がよりいっそうハサウェイのことを許せなくなる、さらに嫌いになれる、と思うので観ておいた方がよいと思う。
『逆襲のシャア』を観たことがない人にとっては、『閃光のハサウェイ』でハサウェイの目の前に時々現れる過去の幻影(クェスという少女)のことが気になるかもしれない。ハサウェイとクェスとの出会いや関係性などを深く知りたい場合、『逆襲のシャア』を観るとよいと思う。
『逆襲のシャア』は(ハサウェイよりもシャアが嫌いなので)何度も観たい映画とは思わないけれど、『閃光のハサウェイ』は何度も観てみたいと思ってしまう。ハサウェイのことは好きではないけれど、ハサウェイの心理描写が自分にも重なることがあり、激しい感情の揺さぶりによって映画に惹き込まれるのではないかと思う。ギギ・アンダルシアがクェス・パラヤとは比べ物にならないほど圧倒的に魅力的なヒロインであることも、『閃光のハサウェイ』をついつい何度も観てしまう理由なような気がする。
このように改めて色々なことを考えることができたことは面白いことであるため、『逆襲のシャア』を観たことはよかったことだと思う。