写真集『写真家が捉えた昭和のこども』を読んだ感想

昭和の時代の子供達の様子を生々しく伝える写真集。

戦前、戦後、1970年代など私が生まれた年に近い時代頃までの子供達の様子を写真で見ることができる。

陽気さ、悲惨さ、色々な思いが写真から伝わってきた。

戦争に関連する写真は悲惨さが伝わるが、中には、それでも懸命に生きようとする子供達の逞しさを感じることができ、考えさせられるものがあった。

何だか、この子供達(まだ存命であれば全員私より年上の人達)に比べると、私が大人になってからこれまで勝手に苦労と感じていたようなことも、どうでもいいことのように思えてくる。

彼らの逞しさ、屈託のない笑顔を見ていると、元気がもらえるような気がした。

子供達の笑顔はすごいなあ、と感じた。

パラパラと写真集をめくる中で、私がめくる手を止めてしばし見つめたのが、33ページ目、147ページ目の2枚の写真。

《写真集より引用》
33ページ目。
煙草をくゆらす戦災孤児 東京・上野駅 昭和21年(1946年) 林忠彦
上野駅の地下道やガード下は戦災孤児のねぐらとなっていた。

147ページ目。
上京する少年 東京・上野駅 昭和44年(1969年) 熊切圭介
「毎年大勢の中卒労働者が上京してくる。また都会にあこがれて故郷を捨ててくる若者は、上野駅だけでも一日に10人はくだらない」


東京の上野駅は、これまでに出張、現在は一時的に東京に住んでいるため通勤でよく使う駅である。

降りることは少なく、乗り換えで利用する機会がほとんどだか、それでも毎日のように上野駅を利用していることには変わりない。

その上野駅が、戦後は戦災孤児のねぐらとして使われ、その20年後は上京してきた中卒労働者が目指す駅であった、というあたりに時の流れを感じた。

それらの面影は、どこかにはあるのかもしれないが、全く見当たらない。

永遠に続く、変わらないと思われるような事柄も確実に変化し続け、踏み止まらず、過去にあったもの、特に物ではなく、人、人々の暮らしの様子などは、悉く、現実世界では変わり、消え去っていく運命であることをしみじみと感じた。

そのようなことを感じさせてくれる写真集でもあった。

また、写真集の巻末のエッセイはどれも読み応えがあった。

中村季枝子「昭和の子ども」では、中村氏が、1人で札幌に縁故疎開をする自分と比べて、信州に集団疎開をするグループはまるで修学旅行みたいで楽しそうだと羨ましく思うあたりなど、戦中の当時の子供達の率直な気持ちが分かるものであった。

ねじめ正一「梅雨の子」では、ねじめ氏の乾物屋の子供時代の悲惨さをありのままに、当時思ったことを書いていてリアル感があり、面白かった。写生大会で、乾物屋の自分の家を描いた医者の息子を殴ったあたりのくだりや、長嶋茂雄になりたくて野球に没頭しているあたりなど、当時のねじめ氏の気持ちが伝わってきて、ここまで正直に思うことを書けて、そして子供時代にそのような行動ができてすごいと思った。
エッセイの終わりに、この昭和のこどもたちの写真集を見て、自分の子供時代と比較し、特に、写真集の子供達の逞しさに触れ、自分の子供時代、自分もこの写真集の子供達と同じようなものであったかも、と考えると、そんなには悪い子供時代ではなかったかも、というフォローもあった。

土門拳「わが下町」
東京の築地3丁目から7丁目は昔は小田原町という名前であったとか町名改正運動には反対であるといった話などがあり、興味深い。

過去に撮影した好きな写真をすぐに挙げられるのは、すごいなあと思った。
一番好きな写真は、この写真集に掲載されている大阪の2人の少年とのこと。

写真集には、土門拳氏の写真が多数掲載されているが、どれも素晴らしく、子供達が生き生きとしている。

見て、読んでよかったと思える写真集だった。

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